【私が歩く背中を見せるということ〜歌手・ヴォイストレーナー®として】
カウンセラーの仕事をしていたときに、感じたことがありました。
私は、いつもこう話していました。
「私が出来たんだから、あなたも絶対にできるよ」
これは、本当に実感として、言葉にしていました。
留学中の勉強は、ものすごく大変で、逃げ出したくなるほど、もうこのまま
目が覚めなければいい、地球がなくなってしまえばいいのにとか・・・・・、
そんな極端なことを思う瞬間もあったほど、想像に絶するほど過酷でしたが、
勉強がそんなに得意ではない私が、死ぬ気で勉強して、勉強が楽しくなって、
コツもつかんで、成績がどんどん上がって、無事に卒業できたことは、奇蹟
でもなんでもなくて、最後まであきらめなかったから、逃げださなかったか
ら、それだけなんです。
どれだけの人に支えてもらったか、助けてもらったか、いまでも胸が熱くな
ります。
ひとりでは、乗り越えられなかったと思います。
だから、その人たちとの
約束を守る。
絶対卒業する。
つまり、途中で投げ出さない。
それだけでした。
カウンセラー3年目くらいの時、生徒さんの中に、ボストンのBarklee音楽院に
留学したいという女の子がいました。
カウンセリングをしていく中で、私は気づきました。
「この子の背中を押してあげながら、励ましながらカウンセリングしているの
だけど、結局は自分自身に向かって、私は叫んでいるんだ」と。
そして、この子が夢を叶えるなら、私も叶えなければ嘘だ!と思いました。
彼女は、留学2年目でBarkleeに編入し、卒業後日本に帰国し、見事に歌手デビ
ューしました。
栄陽子先生に背中を押され
大阪のタクシーの運転手さんと出会い
夢を追いかける子供達に出会い
この3つのきっかけがあって、私が夢の一歩、人生の一歩を歩み始められたの
です。
いまでも忘れません。
そして、1997年。
恵比寿に「ヴォイス・トレーナーズ・アカデミー®本校」を開講。
またたく間に、名実共に業界No.1のプライベートスクールとなりました。
私はこのスクールで、若い子達と接しながら、レッスンの他に、得意のカウン
セリング経験を生かしながら、叱咤激励を繰り返し、短期間に大勢のメジャー
デビューが旅立って行きました。
毎年毎年、面白いほどたくさんの生徒がメジャーデビューし、いまでも多くが
第一線で活躍しています。
このカウンセリングで、私が心がけたことはひとつでした。
私の姿を見せるということ。
椅子にふんぞり返って、偉そうにいっても、なんの説得力はありません。
誰よりも必死に学び、歌い、自分を磨く。
この背中を見せるということが、どれだけ大切なことか、身を以て体験しました。
他人は
「MIYAKOちゃんは恵まれた環境だから」
「お父様が有名な方だから」
とか、そういう風に見てくださるのですが、私こそが努力をしなかったら、本当
に若い子達を引っ張ってあげることはできないと、心の底から思いました。
あなたならできるよ!
あきらめないで!
これはそのまま、自分への戒めでした。
出来ていない自分だったら、説得力はありません。
開校当初から、生徒さんと一緒にゴスペルを学び、歌い、ステージに立つ。
やがて、作詞作曲の勉強を再開しました。
誰よりも熱心にヴォイストレーニング®を学び、身につけました。
そして、決意しました。
私も歌う!
ということ。
自分自身の歌をイチから見直しました。
1999年のことでした。
ご縁あってクリエイター小谷隆氏とのユニット「MIYAKO Creative」を結成。
インディーズレーベル「ミュージックパフェ社」より、デビューアルバム
「MIYAKO 1999」を発売。
このころから、歌手MIYAKOとしてライブ活動を再開。
誰にも何も言わせない!
これがMIYAKOだという自信と、底知れぬ野望です。
私だけのチカラではありません。
全部、若い子達と接して、共に学ぶ過程で気づかされ、彼らに教えてもらった
ことなのです。
支えてくれた、仲間やスタッフ、家族のおかげなのです。
それから10年が経って、アーティストへの楽曲提供がきっかけとなって念願の
メジャーデビュー。
2009年のことでした。
すでに、当時流行のアラフォーにさしかかっていましたから、歌手としても、
女性としても磨きをかけなければ。
誰よりも輝いていなければいけません。
そうでなければ、説得力がありません。
誰にも、笑われないように、でも、必死な姿なんて見せたくない。
静かに静かに、私ができることにじっくり毅然と取り組む。
こうした中で『MIYAKO Style」が生まれました。
多くの方に応援していただき、これが私・MIYAKOですと、胸を張って言える
アーティストMIYAKOが誕生しました。