プロローグ


MIYAKOのアルバム制作が決まったのは2012年秋。
デビュー3周年を迎え、ご縁あってハッピー&ブルー「星降る街角2012」にゲストヴォーカルで参加、また、初めての監修本が出版されるなどなど、充実した日々、忙しくしていたころでした。
漠然とアルバムを出す話しはあったものの、どういうコンセプトでやるかまったくの手探りでした。
かねてより『いつかJAZZのアルバムを出してみたい』希望はありましたが、やはりメジャーファーストアルバムですから「MIYAKO〜美しい日本語で唄う」というデビュー時から大切にしている活動の軸にぶれることなく、幅広い層の方に聴いていただける心地よい歌の世界を貫こうと思いました。
JAZZは、次のステップへの大きな目標としようと。

「美しいメロディ、美しい歌詞、美しい日本語」で、常にライブでお世話になっている、JAZZピアニストの小泉宏先生にお願いし、全曲スウィートジャズテイストのアレンジで進めていくことになりました。
「MIYAKO & Papaライブ」で皆さまからリクエストを募ったり、膨大なる数の曲を唄い、聴いているうちに30曲ほどがピックアップされました。
絶対にアルバムに入れたいと思っている曲、こっちとこっちどうしようか?と悩んでいる曲、あらためて教えて頂いて涙が出るほど感動して好きになった曲など、本当にたくさんの曲に巡りあいました。

その中で、よく考えれば当然なのですが、意外な大きな問題がありました。
それは、いわゆる流行歌、歌謡曲といわれるこれらの楽曲が、過去に全く別々のレコード会社から発売され、著作権が管理されていたことでした。
私は「コロムビア」のレーベルからCD出させていただいていますが、アルバム用に選曲したそれらの楽曲は、コロムビアをはじめ、テイチク、ビクター、キングなどなど数社に亘っていました。
さっそく、各レコード会社の担当の方々にご連絡し、アルバムの企画書やデモテープをお渡しして、許諾をいただきました。
つまり、他社が管理する楽曲が、垣根を越えて一枚のアルバムに集結することになったのです。
実はこれ、なかなか大変な作業でありまして、アルバムが出来てからの話しなのですが
「よくこんな素晴らしい曲ばかりを集められましたね」
と業界の方々からお褒め頂きました。
関係者のみなさまにご協力いただいたお陰さまで、実現する事ができました。
本当にありがとうございました。

さて、やらなくてはいけないこと、決めなくてはいけないこと山盛り。
だいたい19曲に絞られきて、さてさて、タイトルはどうするか〜。
悩ましくも一番重要なところですから、スタッフとで書き出してみました。
「MIYAKO JAPONEISE」
「MIYAKO 日本を唄う」
「MIYAKO Sweet Jazzで唄う日本の流行歌」
「MIYAKO STYLE」
「みやこものがたり」
などど、なかなか堅苦しく面白くないものばかりです。

CDタイトルを決める作業と同時に行われていたのが、ジャケット撮影のイメージプランでした。
実はこのアルバムジャケットは『この「きもの」を着て撮影したい』というのが始めからあり、言うなれば、一枚の「きもの」との運命的な出会いが、私の中でどんどん膨らんでいったと言っても過言ではありません。

その「きもの」は、左胸に大きな牡丹の花が咲き乱れ、帯にも同じ牡丹の花。
「きもの」の名前は『MIYAKO』。
きもの作家・一道先生がMIYAKOをイメージして誂えてくださったものです。

牡丹の花・・・か。
「あ! ”白い花の咲く頃” がアルバムに入るから、このタイトルそのまま使えないかな?」
プロデューサーの榎本襄さんに伺いましたら
「いいんじゃない?問題ないよ」
とのお返事。
「”頃“ を ”ころ” にしよう」ということで、一気に決まりました。

決まったら早いもので、アルバムジャケットのデザインコンセプト、衣装、撮影なども「白い花」で統一。
めでたしめでたしで、レコーディングに突入いたしました。

こうして、アルバム『白い花の咲くころ』は、大勢の方の愛が吹き込まれ無事に誕生いたしました。

生意気なようですが、カヴァーアルバムを製作するという作業は、オリジナルアルバムを製作することとはまた違った意味で、難しく、大変なことだと思っております。
比較をすること自体、次元が違うようにも思いますが、他人の歌をただ唄うことではないということです。

オリジナルの歌手の諸先輩方の歌唱は聴き込むことはせず、歌詞と楽譜で自分のイメージで歌を作って行く作業。
見本があるからこそ、見本を聴くことで真似になってしまうのです。
私はこう歌いたいという姿勢で追求していくことが大事なのだと痛感しています。

そして、ある程度のスタイルが出来てから、はじめてオリジナルを聴いてみますと、同じ曲がまったく違うものになっていることがあります。それが成功かどうか、自分の歌にしていくというのは、私が判断するのではなく、最終的に聴いてくださった方が感じて評価してくださることです。
オリジナルが素晴らしいといことは、歴史が証明しています。
ですから、自分自身へのチャレンジをさせていただきました。
引き続き、新しい目標へ向かって、日々勉強している次第です。
よろしくお願いします。

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ヴォカルグループ・エクセランド

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