よくモノの例えとして
「土台がしっかりしていなければ」
と言うけれど、実際世の中には
「そんなカタいこと言わないでもいい」
「大事なのは売れてなんぼでしょ」
「個性があればいい」
「人それぞれ好きずきなんだから」
「そう言うこと言うのって古い」
と考える人も多い。
私は子どものころから、よく両親に
「姿勢が良ければ、例えジーンズに白いTシャツでも十分に格好いい」
「そういう素敵な人になりなさい」
と教えられてきた。
自分を律し、無駄な贅肉を削ぎ落としていれば、華美な装飾は必要ない。
これは、体重とか、体型とかの問題ではない。
例えの話しである。
自分に誇りを持ち、常に向上心を持って生きる=「姿勢」が良ければ、
その人は、他には何もいらないほど輝いて見えるということだ。
『姿勢とは、すべてにおいての心構え=生き方である』
これはヴォイストレーニング®の指導者養成ゼミナールの最初の講義で
必ず話している。
立つ、座る、寝る、唄う、学ぶ、どれもこれも姿勢が大事ということだ。
そういう土台ができていれば、どこに出ても恥ずかしくない。
自信を持って、胸を張って、姿勢を正しく生きていけるのだと・・・。
なぜ?こんな話しをしているかというと、実は先日お世話になった「美髪
エステ」の里菜さんと話していて、仕事に対する姿勢、考え方にたくさん
共感することがあり、業界が違っても、ものごとの本質は同じで、そして、
これからは「本物しか残らない」という結論で大いに盛り上がったときに
「あぁ、このことを、改めてここに記しておこう」と思ったからだ。
例えば美容院で、その日だけ格好よく見えるカットやセットで再現性ない
ものでお客様を満足させることが、本当にその人を美しくすることとイコ
ールなのか?
ヘアスタイリストの技術は本物かもしれないけれど、お客様の髪が痛んで
いたり、不器用で翌日に同じようにセット再現できなくても、そんなこと
どうでもよくて、一瞬、見栄えがよければいいというのは違う気がする。
料理教室でも同じ。
自宅に帰って、冷蔵庫にあるもので美味しく再現ができるレシピから始め
れば、それはやがて、その人が数稽古を重ね「身につけて」「自分の味」
「レパートリー」になり、その人は料理の楽しさ、人を笑顔にして幸せを
感じる。
料理を教えるというのは、そう言うことが大切なのではないだろうか。
化粧も然り。
肌の美しさに勝る美はない。
これらすべては、「土台が何より大切」ということ。
野球選手は、子供のころから練習や試合を重ね、基礎や土台がしっかり
している子たちが甲子園に出場し、プロ野球選手となっていく。
ピアノやバイオリンなどは、3歳くらいからひたすら練習を重ねて音大に
進み、一流の先生について、世界に認められ、プロになっていく。
「個性」や「面白い」というだけで、オリンピックには出られないのだ。
しかし「歌手」となると、いずれも当てはまらなくても成立して
しまう不思議な世界だ。
上手い人はごまんといる。
上手いからといってプロ歌手にはなれない。
色々な要素が求められ選ばれているのだから、上手い下手だけではない。
結果論で言えば「売れればそれが良い歌手」なのだ。
例えて言えば、コンビニは「マンゴー味」が流行したら、一斉に「マンゴ
ー味」が並ぶ。
本物のマンゴーじゃなくても全然構わない。
来年、流行が廃れても、そんなことはお構いなしだ。
アーティストもアイドルの傾向も、今の時代、考え方は同じだ。
真の意味で「本物」と呼べる人は少ない。
「職業;歌手」というジャンルはなくなってしまったのか。
だからなのか?
昨今では「タレント兼歌手」といった、何が専門なのかわからない存在が
台頭している。
勿論、「本人」もそうだが、「教える」或いは「選ぶ」方にも問題がある
と思う。
パートやアルバイト感覚で「ヴォイトレ講師」と謳っている「方々」から
「教わっている受講生」などは、気の毒としか言いようがない。
受講生たちは夢を人生を託しているのだ。
時代と勝負ができるのなら、それはそれで誰も否定しない。
しかし、少なくても使い捨てはどうかと思う。
それが若い人たちの夢だとしたら?
人生がかかっているというのに。
考えただけでも恐ろしい。
講師達は本当にその人の「可能性」「武器」と言えるもの、存在感を引き
出し、育て磨けるているのだろうか。
それとも、こんな考え方は古いのだろうか。
私が子どもだった頃、西城秀樹さんのや山口百恵さんの歌は、子供から
おじいちゃんおばあちゃんまで全国民が歌えた。
ピンクレディーさんやも松田聖子さんも、日本中がその「名前」「歌」
全部を知っていた。
私は知っているの。
この目で見て育ってきたから。
それぞれの持つ可能性を引き出してくれる本物の指導者とともに、
勉強という土台で揺るがない基礎を築き、「個性」と「個声」が
光り輝いていた時代を。
これから「本物の時代」になると誰もが言う。
その「本物」を育てるのが「本物」を知っている私たち世代だと思う。
すでに韓流アイドルは世界に通用するチカラをつけている。
日本からも、Billboardを揺るがす大スターが生まれてほしい。
だからこそ……
父であり恩師である大本恭敬は、1960年代から日本で初めて「ヴォイス
トレーナー®︎」という造語を作り、これを名乗り、併せて「声学家®︎」の
商標を取得した。
現在では私がこれらの商標を預かっている。
預かるという事は、自分で言う事ではないかもしれないが「認められた」
のだ。
世の中には、上を見ればそれこそきりがない。
あらゆる世界でアーティストが日々誕生し、台頭すれば消えてゆく。
しかし、昨年公開されたイギリスバンドを題材にした映画は彼らを直接
知らない世代をも巻き込み大ヒットした。
「本物」とはそう言う事だと思う。
逆を言えば芸大や美大出身だからといって必ず、それが正しい、或いは
逆もしかりである。
分かりやすく言えば、芸大出身者は確かに「Diploma」を持っている。
では、芸大や美大創設者は?
そもそもないのだから、創設者そのものが「本物」という事になる。
私は確かに「二代目」である。
しかし、「商標」を預かった以上、また、それを超えなければいけない
プレッシャーに日々襲われている。
プレッシャーには二種類ある。
「プラス」「マイナス」だ。
私の場合、「プラス」に作用している。
殆どのアーティストは「マイナス」に押しつぶされ、壊れていく。
だが、私には共に夢を見て、一緒に走ってくれる大切な同志がいる。
私の仕事は
「如何に楽しく、人に心地良い声を届けるかを学び、
声によってしあわせになれることを伝えていくこと。
それが「声楽家」なのだ。
本当の「職業;歌手」がどいうものなのか。
それを魅せてくれる、土台を身につけた「本物」を
生み出したいと、心から思う。
それが父と私のライフワークとなるのだ。