「想い」と「思い」が歌を彩る


カウンセリングに訪れる人たちに相談内容を自由に書いてもらいます。
その中でも多く目立つのは、
「どうしたら感情豊かに歌えるようになりますか?」
というものです。

このブログの大きなテーマにもなっている「感情表現」ですが、
小学校の国語や音楽の授業でも
「感情を入れて歌いましょう」
「感情が伝わってきませんから、もっと気持ちをこめて」
などと言われた経験があると思いますが、多くの方が
「歌は感情を入れて歌うもの」
と思っているのです。

でも、大切なことってそもそもなんでしょう?

 

ヴォーカルトレーニング®のメソッドには、もちろんテクニック的に
”感情を込めた歌い方をするための表現方法” を教えることも可能なの
ですが、感情とはビブラート、しゃくり、こぶし、フォールなど
を駆使して歌うことではなく、ましてやカラオケで採点されるも
のが高得点だったらいいという単純なものではありません。
100点の歌でも心に残らない歌はたくさんあります。

表現のテクニックは、感情を伝える手助けにはなるかもしれませんが、
そもそもの問題はそこにはないのです。

100点の歌でも心に残らない歌はたくさんあります。

「プロ」は、
歌が上手いのと同時に、人の心を動かすsomethingを持っています。
だから「プロ」なのですが、それは自分が歌が好きだからというのは
当たり前だけれど、歌を聴いてもらうというところに立ち、心をこめ
歌い届ける、言葉とメロディ、情景や心情のメッセンジャーであると
いうことなのです。

気持ちが入り過ぎて独りよがりの歌になったり
自分や近しい人間だけに通じるような世界観で歌っていないのです

 

広辞苑をめくってみると
「思う、想う、憶う、念う」と同じ見出しで掲載されています。
同じ意味で良いという解釈もできますので、個人の理解、経験や知識とい
ったものから判断して、言葉や文章、詩や小説などで自由に使い分ければ
良いと思います。

では、漢字そのものの成り立ちから紐解いてみましょう。

「思い」「想い」をネット検索して最初のトップページに表示される
「違いがわかる辞典」によると

「おもう」を漢字で書く際、多くの場合は「思う」を用いる
特に感情を込めた表現には「想う」を用いる

「思う」と「想う」の漢字の成り立ちを見ると
「思」の「田」の部分は幼児の脳の形を表し、「心」は心臓の形。
つまり頭で考えたり、心で感じることを表すのが「思う」

 

一方の「想う」は木を対象として見ることを表す「相」に「心」。
つまり頭で考えるのではなく、心でその姿を見るのが「想う」で、
その対象をイメージしているぶん、「思う」よりも感情をこめた表現
になる、とありました。

「思い出」は普通の表現ですが、「想い出」には、その当時の心情を
心に描いているような印象になるとも書いてあります。

私はつねづね、歌は心を込めて、言葉を届けるように丁寧にね、と話
していますが、まさに、歌には「想い」が大切ということです。

 

自分で作詞作曲をした作品を歌い届けるアーティストは、想いを届ける
手段として歌があります。
ですから、表現方法も自由であり、メッセージやパフォーマンスが共感
されれば成立します。

もちろん、プロのレベルであるかどうかは、プロデューサーやディレク
ター、支えてくださる大勢のスタッフが判断し、発表したあとはファン
の人たち、世の中の人たちがジャッジします。

テクニック的に完璧な人、上手い人はたくさんいますが、人の心を動か
せるかどうかは、そう簡単に身に付けられるテクニックではない。

感性
人間性
環境
経験
人間関係
生活態度
姿勢

などなど・・・・・・
つまり生き様であるということを忘れてないけません。

私も、テクニックばかりの頭でっかちさんをたくさん見てきました。
でも、中身が伴わないと、やはり「魅力」がないのです。

たくさん勉強しましょう。
いろんな意味で。
感謝を忘れず。

 

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